大阪に盛夏の訪れを告げる天神祭

『天神祭』とは、日本全国にある天満宮や天神社で行われるお祭りです。その中でも大阪市にある大阪天満宮が中心となる天神祭は、日本三大祭りとしてとても有名です。

大阪の天神祭は、市内のさらなる繁栄を祈願するお祭りで、7月25日(本宮)に渡御と船渡御、そして奉納花火が行われます。

 

大阪ではこの天神祭の奉納花火が、熱い夏の訪れを感じさせる花火大会のスタートとなります。

テレビなどで中継される天神祭は花火大会という印象で、実際にはどういうお祭りなのかと言われると説明出来ないので調べてみました。

 

『天満宮』とは?

各地の天満宮には、誰もが学生の頃に耳にした事のある、『菅原道真(すがわらのみちざね)』が祀られています。

 

平安時代の貴族であった道真は、天皇に重用され右大臣へと出世しました。

しかし、『天皇を廃位させ娘婿を皇位に就けようと企んでいる』と左大臣に虚偽の罪で告発され、大宰府へと追いやられてしまいます。

その後、道真は大宰府の地で亡くなります。

 

道真が『天満大自在天神』という神格(神様の地位)で祀られた後、平安京周辺では天変地異が続発しました。

そんな折、天皇がいた清涼殿で太政官(朝廷の最高機関)の会議が行われていました。そこに雷雨が降り注ぎ、落雷が清涼殿に直撃したのです。

その場に居合わせた公卿や警備の近衛など数名が雷によって死亡します。難を逃れた天皇も数ヶ月後には亡くなってしまいました。

この時、雷に打たれて死亡した中の一人が、道真を大宰府に追いやった左大臣の部下で、大宰府での道真の動向を見張っていた公卿だったのです。

この『清涼殿落雷事件』を人々は『道真による朝廷へのたたり』だと噂します。

こうして天満大自在天神となった道真の怨霊が、配下の雷神を使い事件を起こしたという伝説が生まれます。

各地で災害や落雷がある度に道真の祟りとして恐れられる様になり、『たたり』を鎮めていただく為に天神(雷神)へ祈願した所から天神信仰が広まっていきました。

 

菅原道真を祭神とする神社は、日本全国に数多くあります。『天満宮』に限らず、『菅原神社』や『天神社』『天満神社』などの様に改称している神社もあります。

また、道真が優れた学者・詩人であったことから学問の神様と崇められているので、どこかで一度は参拝したり観光した経験があるかもしれません。

 

天神祭の始まり

どの『天神さん』にも祭礼があり季節ごとに催しがありますが、祭にスポットを当てるとやっぱり大阪天満宮の天神祭が一番ではないでしょうか。

大阪天満宮が出来たのは天暦3年(西暦949年)、1000年以上も前になります。

その2年後、天神祭の始まりとなる『鉾流神事』が始まりました。

鉾流神事とは、その年の御旅所(神が巡幸の途中で休憩したり泊まられる場所)を設ける為、大川に社殿の前の浜から神鉾(かみほこ)を流します。神鉾が漂着した場所に御旅所が作られます。

鉾流神事で設けた御旅所へ御神霊が移動する際、大川を下る航行を『船渡御』と言い、それが天神祭りの起源とされています。

江戸時代には御旅所が常設されたので、鉾流神事も中止となりましたが昭和に入って復活し、今でも天神祭の幕開けの行事として7月24日の朝に行われています。

 

翌25日、陸渡御があり、夕方から船渡御が行われます。

 

神事の始まった当時、御旅所周辺に住む人々や天神様を崇拝する人々が、御旅所に向かう神様を歓迎する為に船を出しました。それが船渡御の一行と合わさり祭として賑わっていきました。

 

江戸時代以降、紆余曲折を経て少しずつ今の形へと変わってきました。御旅所で行われていた神事も、現在では船渡御の途中の船上で行う様になり、その中で打ち上げられる花火が『奉納花火』となります。

大阪のさらなる繁栄を神様に祈願し、今の賑わいと繁栄を見ていただく為のお祭り。信仰する人々、祭に参加する人々、祭を見学する人々にとっても心に残るものです。

 

時代と共にお祭りの持つ意味合いが変わってきている部分もあるかもしれませんが、天神祭を通して平安時代の日本に思いを馳せ、こうして今へと繋がる思いを感じるのも良いものだなと思いました。